J.D.サリンジャー「The Catcher in the Rye」ゆとりが考察、感想、ネタバレ [感想]


キャッチャー・イン・ザ・ライ (ペーパーバック・エディション)

「村上春樹訳 新時代の『ライ麦畑でつかまえて』 さあ、ホールデンの声に耳を澄ませてください。」というのが帯に書いてあった。帯って時々かっこいいのがあるよな、と思う事があるのですが、この「さあ、ホールデンの声に耳を澄ませてください。」ってのは少しインチキくさいよな、と思いつつ何かを書いていこうかと思います。
ちなみなんで少しインチキくさいって思うかってことを説明するなら、物語の導入よりも先にある表紙の帯には、商業的な意味合いでやはり客を引き付けようとする文章が書いてあることは理解できるんだけど、「さあ」とか「澄ませてください」なんて言われると、少し宗教の勧誘っぽい気がして、まるでこの物語はさわやかで神聖で青春ですよなんて、さりげなく言っているような気がしてならないから。そこまで爽やかじゃないし、青春っていうのは外れてないにしても、神聖な物語ではないだろうと思うのです。

あらすじはちょっと引用させていただきましょうか、うん、その方が分かりやすい。
「今から君に話そうとしているのはただ、去年のクリスマス前後に僕の身に起こったとんでもないどたばたについてだよ。」
高校を強制退学→むろん寮からも退去→ちょっと早めに寮から出て行ってやろう→およそ二日間の小旅行でのドタバタについての物語になります。
やっぱりこのお話について語るとなると、やはりアメリカ文学的というか、その文体について少しだけ話しておかなければならないと思いますので話します。本当はそれについて全然話したくないのですが、これから読もうって人に向けて、少しは書いておかなくちゃという義務感的なアレから話します。
簡単に言えば青年の一人称がただひたすら続く感じの文章ということになります。さっき書いた「今から君に話そうとしているのはただ、去年のクリスマス前後に僕の身に起こったとんでもないどたばたについてだよ。」もその中の一部です。ということはそれなりに感情移入した方が楽しめるだろうという本だということは簡単に予想がつきますが、この本がヒットしたのは日本でもちょうど半世紀ほど前になるので、今の若者はどうにも感情移入できない人の方が多いんじゃないかなぁと思います。
このまま、日本でヒットした時期についての時代背景について説明すると、学生運動が盛んになり、若者があらゆることに対して反抗精神を抱いていた時代ということになります。そんな時代の若者達を中心にこの本は売上を伸ばしたということです。
やはりそういった若者はこの本について共感をしやすかったのだと思います。ホールデンという主人公について自らを重ね合わせることができたということです。一方で、現代のゆとり世代がこの本を楽しく読めたにしても、共感するのは難しいだろうなと思うのです。
というのも、共感するには「反社会的」或いは「反抗精神的」な素質がどうにも必要になってくるだろうというのは、もう既に皆さんが理解しているだろうと思いますが、今の子どもたちに果たしてそれがあるのかと私は思うのです。
形からそれについての話をすると、現代は就職氷河期で、ホールデンくらいの青年は皆が苦労している時代なのですが、例えば理論武装してデモを起こすとか、(ヒッピーのようにとは言いませんが)若者だけで会社を興すとか、そんなことはほとんどないのが今の日本の相場だと僕は感じています。
そして今の青年はそれぞれの適応を求めて行動を起こします。就職先を妥協するとか、おうちに引き籠るとか、お嫁に行くとか、フリーターになるとか。限られた選択肢から選ぶようにして自らの将来を決めるというのが今の子どもたちの感覚だと思うのです。
それはそれで、ある意味長所ととろうと思えばとれるのです。なにせ、今時の子どもたちはどこにいっても、なんとか上手くやるし、ようするに適応力があると思うのです。
でも、なんだかんだいって、適応力なんてものはいつの時代でも誰にでも備わっているものでもあると思うし、やっぱり長所っていうのは違うでしょう。波風立てない事なかれ主義を無意識で受け継ぎ、適応力が自分の長所だと思い込んでいる子どもはいくらでもいるでしょうが。
……話がずれましたね。
つまり事なかれ主義、というのが日本人の特徴とよく言われたりしますが、それが順調に今の若者にも受け継がれているなぁ、と思うのです。
だから、僕はむしろこの本が日本でヒットした時代こそが異常だったのではないかと思うのです。
六十年代末期の若者たちはまったく日本人日本人してない、みたいな感じです。
それが、アメリカの主人公、ホールデンだと思うのです。

まぁ、アメリカ人であるホールデンが日本人日本人してないというのは当たり前ですが、つまり日本人の対極にいるような人間だと僕は考えています。
急に変な事を言いますが、僕はたぶん、かなり、ホールデン寄りな青年だと、この本を読んで後にネットの感想を読んでいて思いました。
やはり共感できたという声は少ないのです。僕はけっこう共感できたのです。それも、特に重要な部分について共感できたと思います。
この本のタイトル「ライ麦畑でつかまえて」は、ホールデンがある歌について勘違いしていたことについて語った時にできた言葉です。
それで、それについてのホールデンの台詞がこの物語においてホールデンを最もホールデンとして表現している場所だと思うのです。ただし、それはやはり共感できるか、とても難しい所だと思うのです。
とりあえずその文章をまるまる引用してみます。

「でもとにかくさ、だだっぴろいライ麦畑みたいなところで、小さな子どもたちがいっぱい集まって何かのゲームをしているところを、僕はいつも思い浮かべちまうんだ。何千人もの子どもたちがいるんだけど、ほかには誰もいない。つまりちゃんとした大人みたいなのは一人もいないんだよ。僕のほかにはね。それで僕はそのへんのクレイジーな崖っぷちに立っているわけさ。で、僕がそこで何をするかっていうとさ、誰かその崖から落ちそうになる子どもがいると、かたっぱしからつかまえるんだよ。つまりさ、よく前を見ないで崖の方に走っていく子どもなんかがいたら、どっからともなく現れて、その子をさっとキャッチするんだ。そういうのを朝から晩までずっとやっている。ライ麦畑のキャッチャー、僕はただそういうものになりたいんだ。たしかにかなりへんてこだとは思うけど、僕が心からなりたいと思うのはそれくらいだよ。かなりへんてこだとはわかっているんだけどね」

正直ものすごく共感したんですね。間違いなく心奥のホールデンを表している一節だと確信しています。
ホールデン・コールフィールドがただの反抗精神の塊だとか、そういう結論ではなくて、もう一段階深い場所には僕みたいな人間がいると、僕みたいで、ホールデンみたいな人間がいると感じるのです。
この感覚を上手く表現できたら評論家になろうと思います。でもやっぱり、つたない文章しか書けないのです。
或いは、このホールデンの台詞はこれで伝えたいことを伝えきっているのだと思うのです。あとは恐らく受信側の問題なのかもしれません。
けれども、ここでこうやって書くからには、その電波の周波数をちょっと変換して、より多くの現代の人達に伝えられたら、本当にどんなに素晴らしいだろうと心から思うのですが、やっぱり少し難しいです。
いつかもう一度、それをすることができたら追伸を書きたいと、強く願います。
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